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二宮・吾妻山公園の菜の花畑
夕映えの海を真下に花菜畑



 二宮・吾妻山公園の菜の花が真っ盛りだというので、見物して来た。
 長い石段を登り、頂上に辿り着くと、ウワサ通りの見事な菜の花畑が広がっていた。
 ここの菜の花景色の特長は、すぐ真下に海が見えることだ。青い海と菜の花の黄色とのコントラストが素晴らしい。
 とくに夕暮れ時は、海に照り映える夕陽が美しく、なんともいえない荘厳な気分になる。
 ふと二宮に隠棲していた俳人・原石鼎の〈頂上やことに野菊の吹かれをり〉という名句が頭に浮かんだ。
 もし石鼎が存命中にこの風景を見ていたら、後世に残る菜の花の名句を歳時記に付け加えていたことだろう。
 明治以降の俳人の中でただ一人、「芭蕉に迫る才能がある」といわれた不世出の大俳人、原石鼎。二宮は、その石鼎が虚子の姦計に陥り、中央俳壇を追われた後、「再起不能」といわれた病の身を養いながら「鹿火屋」を主宰し、三橋鷹女や原裕などの俊才を世に送り出した町なのだ。

  淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守  原石鼎
  蔓踏んで一山の露動きけり
  秋風や模様のちがふ皿二つ
  とんぼうの薄羽ならしし虚空かな
  夕鐘にさめてはねむる枯木かな

 吾妻山の頂上に立ち、暮れなずむ菜の花畑を眺めながら、これらの石鼎の名吟は、俳句愛好者の宝物として、いつまでも愛誦されることだろうと思った。
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未分類 | 11:11:41| Trackback(0)| Comments(0)
風変わりな御嶽神社の節分祭
福を呼ぶ願ひの豆を撒きにけり



 昨日は節分、今日は立春、とうとう暦の上では春が来てしまった。
 今年は暖冬なので、暦の上ばかりでなく、実際の天気もポカポカと暖かい。
 我が家の近所の御嶽神社でも、昨日は節分祭が行われたが、ここの節分祭は、他の神社とは違って風変わりで面白い。
 ふつう神社の節分祭というと、紋付姿の年男などが社殿に立って豆を撒くのだが、ここはその種のことは、一切やらない。
 そのかわり、なんとお参りに来た人全員が景品付きの福豆袋をもらえるのだ。
 その景品がまた素晴らしい。
 井上蒲鉾店のさつまあげや真壁の油揚げ、パンの蔵のアンパンなど大磯の名物や美味いものが勢ぞろいなのだ。
 私もこれまでにメンチカツや缶ビールなどをあてたことがあり、今年こそ井上のさつまあげをと、気合を入れて福豆袋を選んだのだが、残念ながら缶ジュースだった。
 それでも、春からちょっぴりトクした気分になった。
 年男が景品付きの福豆袋を豆と一緒に撒くという神社はよくあるが、ここのように、参拝者全員に景品をくれるという神社は珍しい。
 いつ頃からこのような風習が始まったのか、調べようと思っている。
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未分類 | 18:25:35| Trackback(1)| Comments(0)
消えてしまう横浜の三つのシンボル
鉄塊と化す客船や冬鴎



 横浜のシンボルだった山下公園の氷川丸とマリンタワーが昨年末に廃業するというので、暮れの一日、見物に行った。
 両方ともすでに営業を中止しており、寒風の中にいかにも使用済みの鉄塊という感じの侘しさを漂わせていた。
 豪華客船といわれた氷川丸は、時代遅れのオンボロ貨物船にしか見えないし、マリンタワーはちょっと背の高い灯台という趣で、周囲のビルに圧倒されていた。
 建造物というのは、人の出入りがなくなると、こんなに荒れ果ててしまうものなのだろうか。
 私の青春時代には、マリンタワーや氷川丸といえば、陽の当たる横浜の観光コースの定番で、あまりに通俗的なので、デートコースに選ぶのが恥ずかしいくらいだった。
 あの頃は、吉行淳之介の『砂の上の植物群』にもマリンタワーが登場したし、氷川丸は、『繋船ホテルの朝の歌』として鮎川信夫の詩に詠われていた。
 いくら時代が変わったとはいえ、港未来地区の高層ビルや赤レンガ倉庫に客足を奪われて廃業する日が来るとは夢にも思わなかった。
 赤錆の浮いた氷川丸の船腹を見ていると、着飾った男女がデッキにあふれ、賑やかなジャズの演奏が流れていた、数年前の船上パーティーの光景が目に浮かんできた。
 あの華やかなパーティーに参加していた人たちは、いま頃何処で何をしているのだろうと思った。


黄昏時になって、横浜のもうひとつのシンボル、ジャズ喫茶の「ちぐさ」に入った。ここも経営者が高齢のため、今年の一月で廃業するそうだ。1933年の開店で、渡辺貞夫や秋吉敏子、日野晧正といった日本ジャズ界の巨人たちも通いつめたという、73年間も続いた横浜のジャズ喫茶も消えてしまうのだ。
 ちょうどNHKラジオの取材が来ていて、店内は落ち着かなかった。
 リクエストしたコルトレーンの曲を聴いて、外へ出るとすっかり暗くなっていた。


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未分類 | 11:46:43| Trackback(0)| Comments(2)
日本三大俳諧道場のひとつ「鴫立庵」
身にまとふ陽をこぼしけり冬紅葉



 湘南俳句会の今年最後の定例句会が、12月10日に大磯の鴫立庵で行われた。
 鴫立庵は、西行が三夕の歌のひとつ「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」を詠んだ旧跡で、大磯の観光名所になっている。
ここは、京都の落柿舎や滋賀の無名庵とともに日本の三大俳諧道場のひとつとされ、毎年三月の終りには「西行祭俳句大会」が開催されている。今年は三月二十五日(日)に行われるという。
 庵の庭園には、歴代庵主の句碑が建立されており、私が西行祭にはじめて参加した当時の庵主だった草間時彦氏の句碑(大磯に一庵のあり西行忌)も建てられていた。氏が亡くなってから、もう三年も経つのかと思うと、時の流れの早さに唖然としてしまい、なんだか淋しくなってしまった。


 句会のほうも淋しくて、15人の会員のうちなんと6人も休んでしまった。最近の句会では、こんなにたくさん休んだことはない。
やはりノロウイルスとかいう悪い風邪が流行っているせいなのだろうか。
 人数が少ないため、最高点も7点といつもより少なめで、三句が並んだ。
 掲句はそのうちの一句で、他の句は次の二句である。
  白壁となりて日矢受く大根かな   明次
  誰彼も無口となりし焚火かな    小左郎
 ありがたいことに義博さんが、句会の景品として、小さな藪柑子の鉢を二つもってきてくれた。可愛い赤い実がついていて、陽が当たると美しく輝く。
小左郎さんは欠席投句のため失格なので、明次さんとひと鉢ずついただいた。
 今年最後の句会で思いがけなく景品をいただいて、ちょっぴりうれしい気分になった。
 この調子で来年もイイ事がありますように……。
  藪柑子夢の中にも陽が差して    櫻井博道


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未分類 | 11:30:59| Trackback(0)| Comments(0)
滄浪閣の最後の町の文化祭
「天城越え」爪弾く琴や文化の日



 先日の11月3日、旧伊藤博文邸の滄浪閣で行われた大磯町の文化祭を見に行った。
 滄浪閣は、経営不振で売却されることになっており、町の文化祭が行われるのは今年が最後になるそうだ。
 文化の日の3日は、湘南俳句会の義博さんの写真の展示のほかに眞里さんの大正琴の演奏もあった。
 会場は、最後の文化祭のせいか、例年よりも観客が多く、盛況だった。
 義博さんの写真は、「冬隣り」という冠雪した連峰風景と「彼岸花」という埼玉県日高市の群生地を撮った作品の2点が展示されていたが、どちらの作品も画面に張り詰めたような緊張感があって、なかなかの出来栄えだった。
 眞里さんの大正琴の演奏会は、定番の邦楽のほかに、石川さゆりの「天城越え」や山本リンダの「どうにも止まらない」などの演奏もあり、面白かった。
大正琴の演奏会を聴きに行ったのは初めてだが、琴の音色ばかりでなく、太鼓や笛などいろいろな楽器の音がだせるのには驚いた。エレキギターと同じということだ。
 琴の演奏が終った後、ちょうど見物に来ていた義博さんや知恵子さんに眞里さんも加わって、中庭の見えるロビーでコーヒーを飲みながら談笑した。
 うららかな秋の陽射しが中庭の樹木に照り映えて美しかった。


 考えてみると、この滄浪閣の文化祭にもいろいろな思い出がある。
 2年前の文化祭の舞踊会には、町内会の役員に頼まれて私の母も出演したのだ。
 母はもう80歳過ぎの高齢なので、最初は辞退したのだが、これが最後になるかも知れないという本人の希望もあり、踊ることにした。
 舞台に立つまでは、どうなることかと心配だったが、踊りだすとなんとかなるもので、途中波乱もなくどうにか無事に終了した。さすがに若いころからの年季が入っているだけのことはあると感心したが、それでもホッとしてドッと疲れがでたものだ。
 売却された後の滄浪閣は、葬祭ホールになるというウワサである。
 いずれにしても、母の踊りも義博さんの写真も眞里さんの琴の演奏会も、もう二度と滄浪閣で見る機会はない……。


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未分類 | 18:43:28| Trackback(1)| Comments(2)
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