投稿日:2006-04-20 Thu
迷堂の終の庵や植木市
4月の17日〜19日の3日間、大磯の高来神社の祭り(高麗寺祭)が行われた。この祭りの呼び物は、「山神輿」と「植木市」。なかでも山神輿は、最大傾斜度が45度もある険しい男坂を神輿を担いで一気に駆け登る、という勇壮なもので、一度見物したいと思っているのだが、今年も果たせなかった。
植木市は、昨日見に行ったが、平日のせいもあつてか、人出が少なく、出店する植木屋さんの数も減っていて、活気がなかった。狭い路地が植木と見物人であふれていた往時の面影はない。それでも、毎年、店を出している馴染みの植木屋で赤い南天の鉢を買って帰って来た。
高来神社の隣に慶覚院という小さなお寺がある。かってこの寺に松根東洋城の「渋柿」の俳人として名高い尾崎迷堂(明24〜昭45)が住んでいた。
迷堂は、鎌倉の杉本寺の住職だったが、大酒飲みで、寺の経営をなおざりにしたという理由で寺を追われたそうだ。路頭に迷うところだったのを、俳句の弟子たちが世話をし、当時無住寺だった慶覚院に迎え入れたという。
迷堂の句で一番有名なのは、水原秋桜子が『三大俳句鑑賞』のなかで激賞した次の句だろう。
鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 迷堂
「かまくらのうだいじん」と読む、この句を秋桜子は、「作者と読者の心が直接に相ふれ相うつところに特色がある」と誉めている。
鎌倉の寺を追われる原因になった飲酒癖は、最後まで直らなかったようで、鴫立庵の庵主だった草間時彦が訪ねたときも、昼間から酒を飲んで寝込んでいたという。昭和45年、ただひとりでひっそりと息絶えた日も、きっと朝から酒を飲んでいたのだろう。
「私は迷堂さんを憶うたびに、俳句は世渡りの拙い人の風雅であるべきだと思う。現代俳人は私を含めて、世渡りがうま過ぎる」と、草間時彦は『大磯俳句読本』のなかで述べている。
お降りやとうとうたらり屋漏り庵 迷堂

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