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藤田湘子の思い出
レコードの傷音梅雨の日曜日

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 角川書店の『俳句』7月号に「藤田湘子の生涯と仕事」という追悼特集が掲載されている。今年の4月15日に逝去した湘子は、私が最初に所属した結社誌『鷹』の主宰者であり、最も大きな影響を受けた俳人なので、懐かしく拝読した。
 私が「鷹」の会員だったのは、15年以上も昔のことで、指導を受けた期間もわずか2年足らずにすぎない。したがって、弟子としては末席もいいところだが、俳句を続ける期間が長くなればなるほど、私の中の湘子の存在はより大きく、絶大なものになっていった。
『実作俳句入門』をはじめとする多数の著作は、すべて読んで俳句の基礎を学んだし、NHK俳壇や俳句王国など湘子が出演した番組は、ほとんど見ている。いわば私がいままで俳句を詠み続けてこられたのは、藤田湘子という俳人のおかげなのだ。
 私が通っていた頃の「鷹」の中央例会は、全国から100名を超える同人や会員が集まり、新橋の航空会館で行われていた。出句は3句で一般会員の選句も3句、出席者全員の相互選というかなりハードな形式だった。
 当時の句会で活躍していたのは、小澤實や奥坂まやで、彼らの句の斬新な発想には、いつも驚かされるばかりだった。300句以上出句され、最高点句でも12〜13点、湘子の句でさえ5〜6点位しか入らないという超厳選の句会で、彼らの句は常に7〜8点入っていた。湘子の句は、ときには1点しか入らない場合もあり、「今日は選句眼のない奴ばかりだな」と苦笑していた。
 私の句などはせいぜい1〜2点止まりで、0点という日もたびたびあった。そんな日は、新橋駅までの帰り道がやけに長く、「もう俳句なんかやめてしまおう」と真剣に考えたものだ。
 披講が終り、湘子の講評になると、会場全体がし〜んと静まり返り、異様な緊張感に包まれた。なにしろ湘子は、その日出句された全員の句を取り上げて、1句ずつ批評してくれるのだ。300を超える句を1時間半位ですべてコメントするのだから、スゴイ迫力だった。始めのうちは、丁寧だった言葉使いも半分を超える位から乱れ始め、終り頃に下手な句が出てくると罵声に近い言葉も飛び出した。新人も幹部同人も一切区別せず、ダメな句は容赦なく批判した。
 考える時間がないから、俳句を読んだ瞬間の直感だけで話しているのだが、その批評は的確で、一言一言に千金の重みがあり、小気味よかった。したがって、いくら怒鳴られても悪い気はしなかった。どんな初心者の句でも俳句に関しては、決してお世辞をいわず、いつも本音で答えてくれた。それが湘子の人気の秘密であり、誤解を招く原因でもあった。
 掲句は、その句会で初めて湘子選に入った句。生活に疲れていた当時の鬱屈した心情を表現したつもりだが、湘子の批評は、「20歳代の学生さんの句なら、これでよいが、いい歳をした社会人の句としては甘過ぎる。もっと大人の句をつくりなさい」と手厳しかった。
 私が「いい歳ですが、まだ独身なので…」と答えると、「そうか、それじゃあ仕方がないな」と微笑した。優しかったそのときの表情をいまでもよく覚えている。








未分類 | 10:08:23| Trackback(0)| Comments(3)