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澤田美喜記念館は、隠れ切支丹資料の宝庫
青梅雨やマリアを彫りし石灯篭



 大磯駅前のエリザベスサンダースホーム内にある澤田美喜記念館は、踏絵や魔鏡など隠れ切支丹資料のコレクションで有名。キリシタンの本場、九州の天草や島原にも、ここほど資料の充実している施設はないという。
 掲句は、その澤田美喜記念館の庭園に置かれている切支丹灯篭を詠んだもの。7月の湘南俳句会に欠席投句したところ、明次さんが特選を入れてくれた。ありがとう明次さん。
 並選でいっぱい点数をもらうのもいいけれど、たとえ一人でも特選が入ると、とってもうれしい。なにしろ特選は一人一句しか選べない、選句者にとっては、その日の句会の最高の句なのだ。大勢の女性に好まれるよりも、たった一人の女性に熱烈に愛されたい……ちょっとちがうかな。
 今月の最高点句は9点で、次の2句。
 炎昼の眼に力ある人夫かな   由美
 行商に茶の湯ひとつの端居かな 義博
 由美さんは、先月の句会に続いての最高点、好調だね。
 炎天下の路上で働く肉体労働者の活力を「眼に力ある」と把握したのは、さすがに由美さんらしい感性だが、下五の「人夫かな」がよくない。
 単に言葉のイメージが差別的、というだけではなく、汗水垂らして前向きに働いている現場のエネルギッシュな雰囲気が伝わってこない。ここは、大工とか石工とか、具体的に職業がわかる名称のほうがよいだろう。
 それに、「かな」という切れ字は「沈黙の感動詞」といわれるくらいで、「枯野」とか「すすき」とか靜的なものにつけたほうがよくはたらく。「人夫」につけると、せっかく働いている人夫が寝転んで休んでしまうよ。
 たとえば、私がつくるとしたら、いま大磯は下水工事が盛んだから、「炎昼の眼に力あり配管工」とでもするだろう。
 義博さんの句は、「行商」と「茶の湯」の取り合わせが面白いということで点が入ったのだろう。事実の写生かもしれないが、私は「茶の湯」はいかにも大げさで無理があると思う。
「行商に」の「に」も説明的でよくない。「行商のお茶一服の端居かな」ぐらいのほうがよいだろう。





未分類 | 19:02:41| Trackback(0)| Comments(0)
大磯・高来神社の浜降祭
巫女舞の言祝ぐ浜の祭かな



 浜降祭といえば茅ヶ崎が有名だが、大磯の高来神社にもあり、今年も7月17日に行われた。
 高来神社は、大磯で一番大きい由緒のある神社で、春の植木市や山神輿でも有名。高麗山を背景にしたその社殿には、荘厳な趣がある。
 浜降祭といっても、茅ヶ崎のように実際に神輿が浜に降りて、波飛沫を浴びながら練り歩く勇壮なものではない。神社から繰り出された各町内のお神輿が、港の片隅の小公園に並べられて、祀られるだけの大人しいものだ。
 その浜降祭の唯一の見ものが、小学生位の女の子4人によって演じられる巫女舞である。
 なにしろまだ年端も行かない子どもたちだから、動きもぎこちなく、あまり上手とはいえないが、それがかえって初々しく、可憐で可愛くて清々しいのだ。
 見物人もお祭りの関係者や近所の人たち、わずか100人足らずで、ゆっくりと見物できた。
 すぐ隣りのビーチには海水浴客がごった返しているのに、そこだけは、管弦楽の流れる中に天女が舞う、まるで優雅な別天地のようだった。







未分類 | 12:01:18| Trackback(0)| Comments(0)
平塚・七夕祭りの思い出
手術せる喉の疼きや夏木立



 湘南の夏の風物詩、平塚の七夕祭りも10日で終わった。毎年この祭りが終わると、いよいよ湘南の夏も本番に入る。
 七夕祭りの思い出というと、まず思い浮かぶのは、ちょうど10年前、平塚の共済病院で咽喉の手術を受けたときのことだ。
 咽喉に腫瘍ができ、瘤のように膨れてきたので、町の耳鼻咽喉科で診てもらうと、先生の顔色がみるみる変わった。
「とても私の手には負えない。紹介状を書きますから、そちらで診てもらってください」
 そして、紹介された平塚の共済病院で、「癌かも知れない」「早く切ったほうがよい」と脅かされ、手術することになった予定日が、ちょうど七夕祭りの最中だった。しかも、湘南俳句会の初めての吟行句会日の翌日だった。
 手術前の検査があるので、入院はその前日の朝から、といわれ、困ってしまった。
 3カ月前から始まったばかりの湘南俳句会の初めての吟行句会なので、ぜひ出席したかった。
 前日は大切な用事があるので、入院は夕方にして欲しい、というとさんざん叱られた。
「大学病院から咽喉癌専門の先生を呼んで執刀するのだから、万全の準備をするためには、朝から入院する必要がある。夕方まで遊び歩いてて体調を崩したら手術できないでしょ」
「でも、先生、もし癌だったら、長期入院することになるし、そうなったら会えなくなってしまうから、いまの内にぜひ会っておきたい人がいるんです」
 とウソをついて、入院日を前日の夕方に延ばしてもらったのだった。
 吟行句会が終り、病院へ行く途中で見た七夕の風景が妙に美しく心の隅に残っている。普段なら苦手な雑踏も気にならず、まるで異次元の世界を彷徨っているようだった。
 神経の集中している咽喉の微妙な部分だから、「失敗したら声が出なくなったり、味が分からなくなったりするかも知れない」といわれていた難しい手術だった。
 翌日、なんとか無事に終り、麻酔が切れて目が覚めると、外は日が暮れかかっていた。
 病室の窓から見える桜の大樹が夕陽を浴びて輝いていたが、その姿はすでに盛りを過ぎたものの美しさのように感じられた。
 自分も、あの夏木立と同じように、確実に滅びへ向かう年齢に達しているのだ、と喉の疼きを感じながら痛切に思った。




未分類 | 18:11:16| Trackback(0)| Comments(0)
失われたモノを求めて
待ち人は消せず驟雨の伝言板

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 藤田湘子の主宰誌『鷹』に初めて掲載された俳句。
 ひと昔前はどこの駅にもあった伝言板も、最近はさっぱり見かけなくなってしまった。携帯電話の普及で利用者が少なくなったためだろうが、ちょっぴり淋しい気がする。
 前回の俳句のレコードもそうだが、ここ20年足らずの間に生活の場面から消え去った「モノ」は意外に多い。それだけ時代の流れが早くなっているということなのだろう。
 俳句は「寄物陳思(物に託して思いを語る)」文学だといわれる。その肝心かなめの「モノ」が暮らしの中から消えやすくなっているということは、それだけ俳句の語る言葉の寿命も短くなっているということになるのだろうか。いつまでも消えないものを詠むとしたら、自然の中に題材を求めるしかないが、その頼りにする自然の風物詩ですら、どんどん失われているのだ。
 わずか17音の俳句の言葉は、ますます語りにくく、伝わりにくいものになるのだろう。しかし、そう悲観することもない。
 レコードや伝言板というモノそのものは、暮らしの場に実在しなくなっても、そのモノを使った生活の記憶は、いつまでも頭の隅に残っている。そして、その記憶を、その当時の心情とともに瞬時に甦らせることができるのも、俳句の大きな魅力のひとつなのである。
 同じことは、季語にもいえる。夏の季語の「蚊帳」など、いまでは実物を見ることはなくなったが、それを使った生活の記憶はしつかり残っており、蚊帳を詠んだ俳句もちゃんと理解できる。
 蚊帳を全然知らない若い世代でも、説明すれば分かるだろう。どんな言葉でもいずれは古びるのだから、それはそれでいいと思う。
 小説が、「失われた時を求めて」書く文学だとしたなら、俳句は、「失われたモノを求めて」その記憶を止めるために詠むものだ、と最近では思っている。







未分類 | 19:14:40| Trackback(0)| Comments(0)
藤田湘子の思い出
レコードの傷音梅雨の日曜日

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 角川書店の『俳句』7月号に「藤田湘子の生涯と仕事」という追悼特集が掲載されている。今年の4月15日に逝去した湘子は、私が最初に所属した結社誌『鷹』の主宰者であり、最も大きな影響を受けた俳人なので、懐かしく拝読した。
 私が「鷹」の会員だったのは、15年以上も昔のことで、指導を受けた期間もわずか2年足らずにすぎない。したがって、弟子としては末席もいいところだが、俳句を続ける期間が長くなればなるほど、私の中の湘子の存在はより大きく、絶大なものになっていった。
『実作俳句入門』をはじめとする多数の著作は、すべて読んで俳句の基礎を学んだし、NHK俳壇や俳句王国など湘子が出演した番組は、ほとんど見ている。いわば私がいままで俳句を詠み続けてこられたのは、藤田湘子という俳人のおかげなのだ。
 私が通っていた頃の「鷹」の中央例会は、全国から100名を超える同人や会員が集まり、新橋の航空会館で行われていた。出句は3句で一般会員の選句も3句、出席者全員の相互選というかなりハードな形式だった。
 当時の句会で活躍していたのは、小澤實や奥坂まやで、彼らの句の斬新な発想には、いつも驚かされるばかりだった。300句以上出句され、最高点句でも12〜13点、湘子の句でさえ5〜6点位しか入らないという超厳選の句会で、彼らの句は常に7〜8点入っていた。湘子の句は、ときには1点しか入らない場合もあり、「今日は選句眼のない奴ばかりだな」と苦笑していた。
 私の句などはせいぜい1〜2点止まりで、0点という日もたびたびあった。そんな日は、新橋駅までの帰り道がやけに長く、「もう俳句なんかやめてしまおう」と真剣に考えたものだ。
 披講が終り、湘子の講評になると、会場全体がし〜んと静まり返り、異様な緊張感に包まれた。なにしろ湘子は、その日出句された全員の句を取り上げて、1句ずつ批評してくれるのだ。300を超える句を1時間半位ですべてコメントするのだから、スゴイ迫力だった。始めのうちは、丁寧だった言葉使いも半分を超える位から乱れ始め、終り頃に下手な句が出てくると罵声に近い言葉も飛び出した。新人も幹部同人も一切区別せず、ダメな句は容赦なく批判した。
 考える時間がないから、俳句を読んだ瞬間の直感だけで話しているのだが、その批評は的確で、一言一言に千金の重みがあり、小気味よかった。したがって、いくら怒鳴られても悪い気はしなかった。どんな初心者の句でも俳句に関しては、決してお世辞をいわず、いつも本音で答えてくれた。それが湘子の人気の秘密であり、誤解を招く原因でもあった。
 掲句は、その句会で初めて湘子選に入った句。生活に疲れていた当時の鬱屈した心情を表現したつもりだが、湘子の批評は、「20歳代の学生さんの句なら、これでよいが、いい歳をした社会人の句としては甘過ぎる。もっと大人の句をつくりなさい」と手厳しかった。
 私が「いい歳ですが、まだ独身なので…」と答えると、「そうか、それじゃあ仕方がないな」と微笑した。優しかったそのときの表情をいまでもよく覚えている。








未分類 | 10:08:23| Trackback(0)| Comments(3)