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    藤村の墓と変更された左義長の日程
    棒杭を建てし墓石や梅真白


    島崎藤村の墓のある地福寺の梅が満開だというので、見物してきた。
    今年は例年より開花が早かったそうで、もう散り始めていた。
    晩年大磯に住み着いた藤村は、この寺の梅が好きで、
    死んだら、梅の木の下に眠りたいと言っていたという。
    その希望をかなえて、墓地から離れた老梅の下にわざわざお墓をつくったということだ。
    考えようによっては、藤村という人は、死んだ後まで注文の多い
    ずいぶんわがままな人だったわけだが、それも文豪だから許されたのだろう。
    有名人の墓というと、やたらと目だつ派手な設計のものが多いが、
    この藤村の墓はまるで棒杭を立てたみたいにシンプルな造りで、好感がもてる。
    設計した谷口吉郎という人は、きっと藤村の文学をよく理解し、その人柄を表そうとしたのだろう。
    左側に並んでいるのは、静子夫人の墓である。

    藤村は、毎年1月14日に行われていた左義長(どんど焼き)を見物したのがきっかけで
    大磯に転居したといわれている。
    今年はその左義長が1月17日(第3土曜日)に行われたので、見物することができた。
    高さ約15メートルもある数基のサイト(斎灯)が、火入れと同時に勢いよく燃え上がり、
    煌々と浜辺を照らす様子はまさに圧巻。藤村が魅入られたのも頷ける。
    この火で焼いた団子を食べると、風邪をひかないという言い伝えもあるという。
    暮らしに密着した民俗行事だったわけだが、日程を変更した理由は、
    国の重要無形民俗文化財に指定された観光行事として、もっと見物客を集めたいということと、
    平日では準備する人手を集めるのが大変なためということだ。
    しかし、小正月の行事として行われていたからこそ、民俗文化財としての意義があったと思うし、
    観光客のために都合のよいように変更するのは、本末転倒のような気がする。
    いずれにしても、現在のような左義長だったら、
    見物に来たとしても、藤村は大磯に引っ越して来ようとは思わなかったことだろう。
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    未分類 | 11:30:51| Trackback(0)| Comments(13)
    「歴史公園100選」に選定された大磯城山公園
    煮魚の濃き味付けや冬紅葉

    061206_1443~0001
    日本国内の歴史的・文化的価値ある優れた都市公園を選んだものに「日本の歴史公園100選」というのがあり、神奈川県の県立公園としては、恩賜箱根公園と大磯城山公園が選ばれているそうだ。
    ごく最近までそんなことは全然知らなくて、三井財閥本家の別荘跡を整備した、ただだだっ広いだけの公園だと思っていたのだが、ここの土地からは、縄文土器や横穴群、鎌倉古墳などの貴重な文化遺産が発掘されているという。
    また、戦国時代には山城だったこの地にたてこもる長尾景春の家来を、太田道灌が打ち破ったという記録も残されており、三井の別荘になった明治以降の歴史と合わせると、なるほど「日本の歴史公園100選」にふさわしいといえるだろう。
    別邸跡に建てられた展望台からは、富士や箱根はもとより、相模湾の彼方に伊豆や三浦の半島まで一望できる。広大な園内には、茶室や資料館、日本庭園や滝、広場など見所がいっぱいあるが、特にいま頃は、日本庭園の紅葉が美しい。
    紅葉の盛りは12月の初めごろで、ライトアップされ、夜も見物できるという。
    この庭園の池畔に佇んで大きな鯉が泳ぐのを眺めていたら、10年以上前、湘南俳句会の吟行でこの公園を訪れたときのことを思い出した。
    亡くなった木曜子さんもまだお元気で、「ここは吟行するのに最適ですな〜」と喜んでいた声が甦ってくる。
    当時の句会の仲間も亡くなったり、辞めたりしてばらばらになり、いまでは3人しか残っていない。公園に歴史があるように、訪れる人間にも歴史がある、とつくづく思う。
    歴史公園の本当の意味は、そんなことを感じさせるところにもあるのだろうと思った。
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    未分類 | 09:20:03| Trackback(0)| Comments(6)
    新湘南俳句会の平塚吟行
    須賀港に散る小稲荷の紅葉かな


    「お酒はぬるめの燗がイ〜イ♪」と、八代亜紀の演歌が聞こえてきそうなうらさびれた猟師町。
    それが平塚の須賀港周辺である。
    先日(10月19日)、生まれ変わった新湘南俳句会の記念すべき第一回吟行句会が、この須賀港周辺で行われた。
    相模川の河口に位置し、川と海の水運に恵まれた須賀港。その漁港としての歴史は古く、江戸時代には相模地方一帯の物資の集散基地としても栄えたそうだ。
    東海道・平塚宿の繁栄は、この須賀港があったからといえるだろう。
    メジャーな名所旧跡や派手な観光施設はなかったが、お稲荷さんや冷蔵倉庫など古い港町の暮らしが偲ばれる身近な風物はいっぱいあった。
    まだ鯊釣りの季節で、港内には仲のよい親子連れが釣り糸を垂れていたし、散歩のチワワがその釣果のバケツをのぞきこんでいた。
    港を囲む堤防の上に祀られたお稲荷さんの桜はうっすらと紅葉し、折からの強風にあおられてはらはらと散っていた。
    土手に上れば、眼前には「湘南潮来」と呼ばれる美しい河口風景がひろがり、秋の相模川の景観をじゅうぶん味わうことができた。
    新しい平塚港や港町の古刹・海宝寺も吟行する予定だったが、強風のため残念ながら中止。
    ちょっと早めに句会場の須賀公民館に向かい、午後一時から句会を始めた。

    句会は、意外(?)にも、吟行は初めてという初心者の句に点が集まったり、ベテランの人が不調だったりで盛り上がり、活発な合評が行われた。
    参加者の主な句は次のとおり。吟行の楽しさを満喫した一日だった。

     廃船は廃材を積み秋の風       清     9点
     小港の秋や肩寄せ釣る父子     良子    7点
     沖見つむ舟繋石や鵙の聲       義博    6点
     充電の句を持ち去りぬ秋の風     公子    6点
     君を恋ふ涛より生まる秋かもめ    靖     5点
     須賀港へ散る小稲荷の紅葉かな   迪之相   5点
     つながれし漁船の孤高秋深し     由美    5点
     御神籤の卦は吉と出て天高し    明次    3点
     秋陽中まだ動かざる釣人かな    紀代子   2点
     秋天や港囲むは太公望        利衣    2点
     十月や食らふコロッケ大口に     智恵子   2点
     鯊光り筆進まずや太公望       誠治    2点    

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    未分類 | 00:11:55| Trackback(0)| Comments(6)
    エリザベス・サンダースホームのステパノまつり
    秋陽食む学園祭の子山羊かな

    080913_1243~0001
    大磯駅の正面にある聖ステパノ学園の学園祭が、先日(9月13日)行われた。
    この学園の小学校はエリザベス・サンダースホームの子どもたちを教育するために、1953年に創設されたそうだ。澤田美喜さんがホームを創設したのが1948年で、その頃の幼児がちょうど学齢期に達しており、義務教育を受ける必要があったわけだ。
    それにしても、すぐ目の前に町立の小学校があるのに、わざわざホーム内に専用の学校までつくらなくても……と思うのは、当時の社会情勢を知らないから。昭和20年代の一般の人々のホームの子どもたちに対する偏見は相当強く、教育的配慮など望むべくもなかったそうだ。
    正門の横にある礼拝堂をのぞくと、創立当時の子どもたちの写真が展示されていた。黒人の子も白人の子も、みんな屈託のない笑顔で机を並べているが、実際は大変な苦労をしていたのだ。
    閉ざされた学園の優しい大人たちに守られて成長したこの子たちは、いまは何処で何をしているのだろうと思った。
    現在の学園は、小・中学校があり、一般の生徒も通学しているという。
    学校の由来がユニークなら、その校舎も風変わり。趣ある別荘風の木造平屋建てで、山の斜面に向かって6つの教室が並んでいる。しかも、各教室の手前にはそれぞれ前庭が付いていて、自由に出入りできるようになっている。
    080913_1247~0001
    教室前の小高い山の上には同じ学園の中学校と海の見えるホールがあり、まるで「崖の上のポニョ」の宮崎駿監督のアニメの中にでも出てきそうな小学校なのだ。
    その教室の前庭のひとつで、子山羊を飼っていた。学園祭の呼び物に牧場から借りてきたらしいが、まるで普段からそこで飼われているみたいに自然で落ち着いた風景だった。
    生徒たちが切り盛りするテントの模擬店が出ていて、100円のカレーライスと焼鳥、お団子などを食べて腹いっぱいになった。
    こういう学園で育った子どもは、こころの飢えを感じることも少ないだろうなどと、いろいろ考えながら帰ってきた。
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    未分類 | 18:13:35| Trackback(0)| Comments(6)
    大磯の御船祭りと花火大会
    龍頭の船形山車や旗立てて



    梅雨の明ける7月の中頃から終りにかけて、大磯では御船祭りや花火大会が行われ、真夏の主な行事は一気に終了する。
    海水浴場は、8月いっぱい営業しているので、夏の賑いが途絶えることはないのだが、例年、7月の最終土曜日に開催される「花火大会」が終ると、「夏果てぬ」という思いがする。
    とくに今年の7月は、その感が強い。母の付き添いで病院通いをしたり、地方在住の大学時代の友人が上京して来たりして慌しかったためだ。

    7月20日に行われた御船祭りは、その昔、大磯の漁師が千手観音を海から引き揚げたという伝説に由来する祭りで、2年に一度、水引や幟で飾り立てた船形山車(祭り船)が漁師町に飾られる。
    昔は、子どもたちが曳いて町内を巡行したそうだが、傷みが激しいため中止になったという。
    それはそれで仕方ないのだが、この迫力のある山車が引き回されたら、祭りもかなり盛り上がるだろうと思うと、ちょっぴり残念な気がする。
    当日は、ちょうど新湘南俳句会の句会と重なったため、ゆっくり見物できなかったが、大きな神輿が練り歩く掛け声が響いてきたり、祭り囃子を乗せたトラックが景気よく走り回lったりして、夕方まで賑やかだった。

    花火大会が行われた26日は、宇和島と安曇野の友人二人が、わざわざ大磯まで訪ねて来てくれた。宇和島の友人は、なんと23年ぶりの上京になるそうだが、大分白髪が増えたぐらいで、外見もそんなに変わらなかった。「三つ子の魂百まで」という言葉があるが、人間は年をとっても、そんなに変わらないものらしい。人にもよるのだろうけど……。
    夕方まで拙宅で歓談し、夜は三人で新宿まで飲みに出かけた。
    東京で暮らしていた頃によく通ったゴールデン街の「こどじ」という店で、当時の常連たちと一緒になって夜遅くまで飲み、思い思いの方向に別れた。

       新宿ははるかなる墓碑鳥渡る    福永耕二

    昨日の夜は、平塚の花火大会だった。
    大磯の花火を見損なったので、花水川の河口まで行き、見物してきた。
    大輪の花火が炸裂すると、一瞬海面が照らしだされて、光の粒子が降り注ぐ様子が美しかった。
    午前中に母を平塚の共済病院に連れて行き、親指のケガの状態を診てもらlったが、「もう心配はない」ということだった。
    傷口に黴菌が入り、化膿してしまったために、最初は「手術して指を落とすことになるかも知れない」と脅かされていただけに、ホッと胸をなでおろした。
    8月はまだ始まったばかりなのに、今年の夏はもう終ったような気がする。

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    未分類 | 10:20:29| Trackback(0)| Comments(0)
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